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瀬戸蔵ミュージアム

  • 執筆者の写真: 豊明 ラポール
    豊明 ラポール
  • 2023年2月6日
  • 読了時間: 2分

こんにちは!ラポ-ル豊明です。

今回は、瀬戸市にある「瀬戸蔵ミュ-ジアム」にお出掛けしてきました。


瀬戸蔵ミュージアムは、やきものの博物館機能を備えた瀬戸蔵のメインであり、「せと・まるっとミュージアム」の拠点で面積は、瀬戸蔵の2階と3階の二つのフロアを合わせて約1,800㎡で、瀬戸市歴史民俗資料館の4倍以上の広さの展示内容となります。

2階部分には、せとものの大量生産で活気のあった時代の瀬戸をイメージし、まちの象徴である旧尾張瀬戸駅、陶房(モロ)、石炭窯、煙突などが配置してあります。

3階部分は、1000年以上の歴史がある瀬戸焼の変遷を全長30メートル以上の大パノラマ展示で紹介してあります。


瀬戸蔵館内1階部分では、桃の節句が近い事もあり高さ4mの雛段には全て瀬戸物で作ったお雛様が数千体飾られていて、子ども達も「可愛いね~」「綺麗だね~」と言いながらお雛様を観て来ました。


瀬戸蔵ミュージアムに入館してすぐに目に入るのが、やきものの大量輸送を担っていた「せとでん」の緑色の電車「モ754号」この車両は、昭和3(1928)年製で、平成13(2001)年まで現役として活躍していました。

電車には乗ることもでき、運転席にも座れ、電車の扉は現在では珍しい「手動式扉」を復元、 車内には効果音が流れ、本当に昭和時代の瀬戸の町に着いたように感じに子ども達は、運転席座り車掌さん気分を嬉しそうに楽しんでいました。


やきもの工場では、やきものがつくられる順序、1土をつくる→2形をつくる→3焼く の3工程がモロの内部ではそれぞれの工程に関する機械・道具類をまとめて観ることが出来、モロの外部には〈焼く〉ために必要な「石炭窯」と高さ約9mの「煙突」を復元、これは市内赤津地区に現在も残されている石炭窯と煙突をモデルとしているそうで、石炭窯は明治時代後期(20世紀)から昭和30年代まで主力の窯として活躍、最盛期には瀬戸市内で500~600基ほど稼働し、煙突からはき出される煙は「やきものづくりの繁栄の象徴」とも言われていました。


瀬戸焼の歩みでは、約1600年前の古墳時代に瀬戸焼の母胎となった「猿投窯」からスタートし、約1000年前の平安時代から約150年前の江戸時代までの瀬戸焼の約1500年間の変遷が学べました。


子ども達は、瀬戸焼に関するビデオ視聴・家具装飾品・飲食器・工業製品・戦時中のやきもの・ノベルティを

真剣に観て説明を読んでいろいろと楽しく学んで来ました。






 
 
 

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